過去・現在・未来

“過去への供養”を施される方々は、未来も安穏だと思います。
今日は、お盆の中日。午前中は比較的涼しく「盂蘭盆施餓鬼会」も、例年より楽にお勤めできた。本日の法要には、東京、京都、尼崎等からもお参りを頂き、嬉しく思う。また市内・近郊よりも多数お参りを頂き、法要も賑やかにお勤めすることができた。法要後の法話では、『三世(過去・現在・未来)の大事』と題してお話をさせて頂く。自分の親の、そのまた親の、そのまたまた親の… 10代遡ると自分には1,024人の父母がいる計算になる。512人の父と512人の母がそれぞれ運命的に出合い、その10代先の子孫として自分は産まれるのである。この間、父母の誰か一人でも欠けると、自分はこの世に存在しなくなる。そうなると、自分の存在に深くかかわって下さったご先祖様に、手を合わせるのはごく当然のことである。これこそ“過去への供養”と言えよう。
現在の生活の中で必要となるのは“感謝と懺悔”ではなかろうか。何不自由なく暮らせる今の世の中、飲食物に感謝できる人は多くないと思う。魚や肉、野菜等、“生(せい)”ある物の犠牲の上に我々の命は成り立っている。やはり感謝が必要であろう。また“懺悔の心”、つまり反省も必要である。些細なことで、また知らず知らずに他者に迷惑をかける、不快な思いをさせる、道理に反する… 失敗があるから成功はあるが、失敗した時には、心から反省(懺悔)することが必要である。“感謝と懺悔”は現在を生きる上で、とても重要となる。
未来に対しては“祈り”が我々を成功に導いてくれる。祈りとは願望でもあり、目標でもあり、生きていく上では指針ともなる。祈るがゆえに幸せをつかんだ話は数多くあるものだ。
『過去への供養、現在への感謝・懺悔、未来への祈り』 自らが実践出来れば、他者をも幸せにし、充実した生活を得、10代先の子孫までも安穏に暮らせるのではないだろうか…