寛永十(1633)年創立 開山妙了院日達 開基檀越福山藩家老職上田勘解由直定 妙了院日達が身延山久遠寺第26世智見院日暹法主より『見照山實相寺』の寺号を拝領し、当地に堂宇を建立 その後、身延山より学禅院日逢(圓)を二世に迎え、寺門の興隆を図る
現在の本堂は福山藩主水野家下屋敷を改築したもので、棟札によると慶安五(1652)年の創建で、二代藩主水野勝俊公菩提寺長久山妙政寺旧本堂である
正徳元(1711)年三月、阿部正邦公が福山藩主として入国し、家老職内藤角右衛門影隆(5代)も着任する 享保七(1722)年十月には内藤角右衛門景尹(6代)が家老職に就任し、この代より当山檀越となる 当時、内藤家屋敷にあった神辺城城門を当山に移築したのも景尹である
元文元(1736)年二月、当山檀越大坂屋三右衛門の丹精により、京都門跡宝鏡院宮を通じ中御門天皇より十六弁表菊紋、紫衣菊紋袈裟の使用を允許され、『法鏡山山号額』(現存)『祈願所門札』(現存)『七面大明神御筆』(戦災焼失)を下賜され、山号を法鏡山と改称する
平成十六(2004)年より平成大改修事業に着手し、境内建物すべての改修が進む 平成十八(2006)年にはJR福山駅北口に出土した福山城東外堀石垣を当山に移築保存する 改修事業にて復元された鐘楼堂にはドイツ製タワークロックを設置し、各方面より注目を集める
昭和24年、福山市初の認可となる明浄保育園も当法人にて運営