名古屋城

先日、法務にて名古屋を訪れる機会があった。ご自宅の仏壇の前に親族が集い、年回忌の法要を執り行う。故人の追善を願うその尊い姿の前には、移動の距離など大した問題ではない。共に読経を捧げるご家族の気持ちがとても嬉しかった。
その後、帰りの新幹線の時間まで小一時間あったので、「名古屋城」を訪ねてみた。
緑あふれる巨大な外堀に圧倒されます。こちらも外堀の一部。時代がかって、とてもいい雰囲気です。
大学生の時分に一度観光に来て以来、何年ぶりだろうか。地下鉄の市役所駅を降り案内板に沿って歩いて行くと、大きな外堀が姿を現した。その雄大とも言える石垣からは、時代の重みを感じさせられた。東門を通り、いざ天守閣へと足を進める。
こちらは内堀です。この中に、天守閣が待ち構えています。堂々たる姿を現した天守閣。さすがに圧倒されます。
表二之門に到着。これまた立派な内堀が、天守閣を取り囲むように築かれている。中に進むと大きな天守閣がその姿を現した。あたりには日本人のみならず外国人の姿もたくさん見られた。人ごみをくぐりぬけ、いざ城内へ…
最上階から見下ろした市街。堀の水が、外界との境界線にも見えます。福山城外堀遺構にも同じ刻紋が見受けられます。当寺の石垣にも同じものがあります。
慶長17年(1612)に築城した「名古屋城」は、第二次世界大戦にて焼失し昭和34年に再建されている。規模こそ違えど、わが町「福山城」も時代的に同じような運命をたどっている。
内部にはエレベーターが設置されており、最上階へ。眼下に広がる名古屋市内を一望しながら、江戸時代、徳川家康はどんな気持ちで城下を眺めていたのかふと思った。天守閣から眺める城内や水の張られた外堀近辺は、人々が集う憩いの場としてはとても素晴らしい場所であると感じた。また、石垣の石に刻まれた刻紋からは、当時築城に携わった人々の思いが伝わってくるようであった。
わが町、福山市の駅前にも立派な外堀遺構が姿を現している。しかし、ごく一部を残し地下送迎場を建設する方向で、先日埋め戻し作業が再開された。悲しい哉、十分に調査や保存方法も検討されずに破壊される外堀遺構、ほかに方法はないのだろうか…