七面山登詣「学禅院日逢上人の足跡を訪ねて」 其の三

七面山への登詣も無事終わり、下部温泉にて汗を流し、息子は大学の授業があるので帰途につきました。

翌日は夫婦でもう一つの目的でもある身延山奥之院・親思閣への参拝と、身延山大学図書館での文献調査をしました。

山頂にある親思閣からの眺めはよく、富士山も拝することができました。また、宗祖御手植えの杉の木は実に堂々たるもので、目に見えぬ霊気を発しているようでした。

 

ちょうど七面山を目の前に臨むことができ、家族で登詣したことを思い出しながら案内板を見つめました。

 

下山後は身延山大学へ。作務衣姿の学生さんが、会う度に合掌して「ご苦労様です!」と声をかけてくれました。さすが総本山の聖域にある大学です。

 

図書館ではこの度の登詣の目的でもある、学禅院日逢上人に関する文献を調べることができました。

身延山久遠寺の後董問題で、一圓院日脱上人を久遠寺第31世として迎え入れる為の中心的人物となったのが学禅院である。また、同志の竹之坊中興18世正法院日運上人は当山寺宝の鬼子母神十羅刹女像の開眼供養を行っており、像背面にはその花押が認められている。山本坊19世本国院日義上人は当山大檀越大阪屋(河合家)の御先祖であり、学禅院の弟子としてもその名を連ねている。

ある程度、学禅院に関係する書物を調べることができたので、御草庵跡と御廟所をお参りさせて頂いた。

 

左上の祖廟の傍らには、久遠寺歴世の墓石が祀られており、すべての先師に手を合わさせて頂いた。

ことに学禅院日逢上人との関わりの深い、第31世一圓院日脱上人の墓所にもしっかりとご回向をさせて頂いた。

久遠寺直末という寺歴の重みを考えた時、その時代に心血を注がれた先師がおられることを身をもって再確認することができた。時代は変われど、当山の寺門繁栄にも更に奮闘しなくてはならないと痛感した旅路となった。

ここに、宗祖日蓮大聖人を始め、身延山久遠寺歴代の先師、当山歴代諸上人、当山有縁無縁諸上人等にご回向を捧げ、今回の登詣記を結ばせて頂こうと思う。南無妙法蓮華経