曾孫たち

子ども達の笑い声が聞こえる法要も、なかなか良いものです。
過日、とある檀家の第33回忌追善法要を執り行った。本堂へ向かうと、沢山の子ども達がニコニコ顔で座っていた。施主にお聞きすると「全員、曾孫です。」と嬉しそうに答えて下さった。こうして子ども達とご両親、ことに若い世代を中心に法事を営むことが出来た。読経中、横に座った女の子がちらちらと興味深げに私を見つめていた。子どもからすれば“和尚さん”は物珍しいのであろう。その分、記憶にも残るのではないかと思う。
今回のご法事は親子四代が揃われた訳であるが、1、施主(親)がお元気であること。2、家族の仲が良く、次の代に信仰がしっかりと受け継がれていること。3、33回忌という長い年数が経過しても、きちんと供養したいという気持をお持ちであること。4、お孫さんが全員集まられたこと。5、そのお孫さん達がそれぞれ我が子(曾孫)を連れて来られたこと。と、よい条件が重なったことは嬉しいことである。曾孫の一人は乳飲み子であったが、その愛らしさは見る者に微笑みを与えてくれる。法事は故人のご供養ではあるが、残された家族が元気な姿で集い、故人を想い共に読経を捧げ、生きている事への幸せを感じる場であっても良いと思う。その気持ちは感謝へとつながり、感謝は自然と子孫の幸福へと繋がっていくであろう。今はよく分からない歳の曾孫達も、何となくでもお寺に来たという記憶が残れば、施主からの大きなプレゼントと言える。こうしたご家庭は、口には出さなくても“将来の安泰”が目に見えているものである。