仏事の意味

本日、とある檀家の年回忌法要を執り行った。当主の御両親のご供養となり、大勢の親族がお集まりになられた。ご自宅、本堂、お墓で読経を捧げ、懇ろに故人をご供養させて頂いた。いつも感心するのは、当主のお孫さんが必ず同席してくれていることである。今春、高一と中一になられたお孫さん、法要中正坐をくずすことなく、一生懸命お経を読んでくれた。お盆の棚経で自宅にお伺いした時、当主ご夫妻と一緒によくお経を読んでくれていたものだ。その頃はまだ小学生で、今回ご供養された曾祖母もご健在であった。懐かしい記憶がふとよみがえる。当主の兄弟姉妹もいつもお揃いになられる。法要が終わると会食にもご招待頂き、しばし有意義な時間を過ごさせて頂く。当主を始め、ご兄弟姉妹、お身内の方と様々な話をすることが出来た。ことに、同宗寺院の檀家がおられたり、関西で有名な老舗の飲食店を経営されている方もおられ、大変参考になるお話が聞けた。
法要は故人が与えてくれる“大切な場”だと感じる。平素なかなか会うことが出来ない親族が相集い、それぞれの境遇や近況をお互いに話す場でもあり、誰しもこれから先に必ず迎える臨終の準備をする場でもあり、自分の思いや考えを子や孫に伝える場でもある。これも故人が自分の背中をしっかりと次代に見せているからこそ、相続されていくとも云えよう。
人生は限られた時間しか与えられない。その生き方、人柄を違う立場で子や孫に伝えることが出来れば素敵なことではないだろうか…
20名を超す親族がお集まりになられました。有り難いことです。