花押

現代の世において『花押』を待たれる職種の方はごく限られていると思うが、我々僧侶は自身の花押を持ち合わせている。御本尊をはじめ、仏像や仏具を開眼する時、経文や書物を授与する時、一筆したためる時などに法名(日号)と共に記している。
『花押』とは、「文書の末尾などに書く署名の一種。初め、自署のかわりとして発生したものが、平安末期より実名の下に書かれるようになり、のちには印章のように彫って押すものも現れた。」(大辞林)とある。現代で言う印鑑のような役割を担う、一種の“しるし”とも言えよう。
さて過日、ある業者から「書画目録」がダイレクトメールで送られてきた。そこには本宗の歴代法主が各寺院や信徒に授与した御本尊や、年代物の仏像・絵画・書が多数掲載されていた。どういう経緯で商品として取り扱われるようになったか知らないが、こういう物が出回るということは正直、喜ばしいことではない。ページをめくっていくと、どこかで見たことのある花押が目に飛び込んできた。よくよく考えると、当山にある慶安年間の経本の添書きに記された花押である。以前から誰の添書きか気にはなっていたが、ひょんなことから某本山(由緒寺院)の歴代貫首の花押であることが分かった。当時の当山住職が本山にて行学に勤しみ、記念に一筆頂いたものであろう。
今回、意外な物から大きな発見ができたが、信仰の対象となるものは、本来あるべき処へ帰らなくてはならない気がする…
誰の筆跡か分かる事で、歴史がひも解かれるような気がします。