掃除

自分達は少々汚れても、一生懸命綺麗にしていました。「掃除」から学ぶ事も多い気がします。
『塵も積もれば山となる。』年末の大掃除の時などに、普段手をつけていない所に溜まった埃を見て、思わず口に出る言葉である。本来は「大智度論(だいちどろん)」という仏典の注釈書に出てくる言葉で、「ごくわずかのものでも、数多く積もり重なれば高大なものとなる。」という喩えで、決して埃の事を言っている訳ではない。
それはさて置き、先日保育園で人工芝の掃除を行った。芝をめくり、そこに溜まった砂や埃を取り除き、水で流し、最後に人工芝も水洗いして完了である。掃除をするに当たっては、職員全員が協力し合い、予定の時間内にしっかり終えることが出来た。人手が多いということは本当にあり難いことである。さて、掃除の仕方についてであるが、個人個人で持ち味が違うものだといつも感じる。要領よくこなす者、小さいところまで気になる者、大雑把な者等々… まさに、掃除は“人柄”をも表すものである。
私も小僧時代、掃除のイロハをよく教えてもらった。雑巾の絞り方からホウキの使い方、草むしりや素手での便所掃除、こうすれば綺麗になる、こうすれば早く仕上がる、こういう掃除の仕方もある等の裏技まで… 当時は好きでやっていなかったものの、今となれば役に立つことも多い。
『掃除』は日常生活でも決して離れられない“お勤め”の1つであり、“心を磨く方法”の1つでもある。上手に出来て決して損は無い。かくいう私は、掃除が好きなのかもしれない…