懺悔文

神妙な面持ちで「懺悔文」を拝読されていました。明かりを消して、団扇太鼓を叩いての「唱題行」
当山ではしばしば、自らの罪障を消滅するために『懺悔文(さんげもん)』をお唱えしている。知らず知らずにつくってしまう過ちや罪を悔い改めることで自分を見つめなおし、心と身体を清浄にする。とても重要かつ、意味のある“実践行”といえよう。
先日、福山東ライオンズクラブの会員有志が、当寺にて3回目となる研鑽をつまれた。代表役員が多いLCであるが、経営や人材の育成などで、並々ならぬ神経を使われていることであろう。経営者は、重要な決断を迫られた時、自らの判断にて進むべき方向を決定しなくてはならない責任のある立場である。そんな立場であるがゆえに、不安や悩みも多いようだ。「“人”と“物”と“金”、どれか一つでも疎かになれば全てが離れていく」と、聞いたことがある。そんな意味あいからも、「心の研鑽」が時として必要になるのであろう…
どの職種、どの立場であろうと、最後に見られるのは「人間性」である。過ちは素直に反省し、他者を敬い、思いやる心をたもてば、必ずや人は認めてくれるはずである。今回の「研鑽」から、何らかのヒントを感じとって頂くことが出来ただろうか。