100日間の別れ

明日11月1日、市川市の中山法華経寺にて壱百日の『大荒行』が開設される。
世俗との交流を断ち、自らの限界と闘いながらの修行は、日蓮宗独自のものである。私も平成17年に三度目の修行を終え、早いものでもう3年が経とうとしている。
この度は、大学時代の友人が三度目の修行に入り、先日激励のメール送ったばかりだ。家族や檀信徒を残して修行に入る彼には、並々ならぬ覚悟があったであろう。返信には入行前の心境が綴られていた…
誰しも、与えてもらった事物に対する感謝の念が、知らず知らずに薄くなっていることに気付いた経験があるのではなろうか。衣・食・住の形のある物から、目に見えない愛情、気持ち、施し等々… たいていの人は“有ること”に慣れて当たり前となり、感謝の念を忘れがちである。そういった意味では、物が無い、したい事が出来ない、大切な人と会えないという環境で、どれだけ自分が恵まれているのか気付くことは大切である。戦争を体験された方が、“人の情”や“物の有り難さ”をよく話されるのは、身を持って経験されたからであろう。
辛く厳しい状況下でも常に精進し、自分自身が満足のいく修行を積まれることを願っている。明日からまた、私の“浄心水行”も始まる…
参行成満「帰山式」にて。あの時の“感謝”の気持ちが思いだされます…