世界遺産

ノミ1本で掘られた坑道からは、当時の作業の大変さがうかがえました。250年以上前に造られた、羅漢寺の「反り橋」。
昨日、島根県大田市の「石見銀山」を訪れることが出来た。
平成19年に『世界遺産』登録予定であるこの地域は、自然豊かな情緒ある町並みを残し、かつては世界に「銀の国」として名を馳せた日本有数の銀山で、登録されればアジアで初の“産業遺産”となる。
そこには『世界遺産』登録に向けての、“地域全体での取り組み”を感じることが出来た。武家、町家、寺社が並ぶ町並みを歩くと、江戸時代の人々の暮らしを感じることが出来る。武家や町家は当時のままの建物で、太い柱や梁、家具や備品等からは、長い年月を経てきた歴史の重みを感じることが出来た。その歴史を今に伝え残していく事は、決して容易ではないと思う。地域に住む人々が共に考え、協力していかなければ、今のかたちは残らなかったであろう。
また、街道を歩いていると、寺社仏閣が多いことに気付いた。
銀山での採掘はノミ1本での人力作業であり、常に危険と隣り合わせの過酷な労働であった。そんな坑夫の安全を一心に祈願したり、万が一命を落とすような事があった時には、手厚く寺社で葬られたのであろう。
今回は「龍源寺間歩」(りゅうげんじまぶ)という、銀山の坑道を通ってみたが、「よくもここまで人力で掘り進んだものだ!」と感心した。全長273mの坑道には人一人が横になってやっと通れるような横穴や、排水の為に垂直に100m程掘られた縦坑も見ることが出来た。調査された坑道入り口には番号札が立ててあり、「龍源寺間歩」は確か500番と書かれていたような気がしたが、いたるところで多くの坑道が掘られたことがうかがえた。時間の都合で「石見銀山」のほんの一部しか見ることが出来なかったが、またゆっくりと訪れてみたい。
『世界遺産』に登録されると言うことは、世界各地からの観光客が訪れることを意味する。その為に色々と工夫しなくてはならない部分も出てくると思うが、地域の皆さんや行政がさらに協力しあって頑張ってもらいたい。
福山市にも「鞆の浦」と言う景勝地があるが、『世界遺産』である「宮島」や予定地の「石見銀山」を参考に、古い町並みを崩さず、歴史文化を今に伝える建造物や伝統行事を保存する取り組みを“地域と行政”が共に行えば、『世界遺産』登録も夢ではないはずである。