目に見えぬ形見

お寺では追善供養として年回忌仏事(法事)を営むが、今日は満中陰(四十九日)忌の打ち合わせに、ある檀家の方がお見えになられた。
忌日までに準備するもの、時間、場所、人数等々…
「故人の為にお経をあげているのですが、何を読めばよいのか分からないので教えてください」と尋ねられた。
私は心の中で、「故人はきっと次の世で、善い世界に生まれ変われるだろう」と感じた。
追善とは善が後から追いかけてくる事をいい、生きた者が亡き者に対して善行の功徳(お経)を捧げる事を意味する。
一見簡単に思えるが、なかなか出来る事ではない。
漢字だらけのお経を読む事は容易い事ではないし、意味も分かりづらい。
それでもお経を読んであげたいという気持ちは、実に尊いものである。
人は今まで有るものを失って、初めてその有り難さに気づく。
その“見えない形見”をしっかりと受け止めることが大切である。
故人への“想い”は、きっと時を超えても通じるはずだから…