子供への愛情

昨日は庄原で開催された「中国5県バイオマスエネルギーフォーラム」を聴講しに行った。
“バイオマス”とはあまり馴染みのない言葉であるが、「生物を利用して有用物質やエネルギーを得ること」を意味する。
たまたま昼食に立ち寄ったお店が、250年以上昔に建てられた造り酒屋の蔵を改築したもので、木と土の温もりを感じる趣のある建物であった。
ここでは、もともと有ったものを再利用する工夫が凝らされている。
實相寺の堂宇は350年以上昔の建造物であるが、現在も変わることなくその形をとどめている。百年以上の周期で修繕、改築等を行ってはいるが、使えるものは再利用し、無駄な資源を極力使用しない職人の“知恵と技”が活きた工法がとられている。
建築においては、老朽化した建物を壊して新しいものを作る方がコストも手間もかからないようであるが、資源を有効に活かすという意味合いでは何やら無駄が多いような気がする。
もっと再利用できる方法を考えなくてはならないのではなかろうか?
時代の流れで、今は欲しい物が手に入らないことは無いご時勢である。
そんな世の中、悲しいことに“物の有り難さ”に気づきにくくなっている。
太い柱や梁を見ながら耳を澄ますと、何百年を生き抜いてきた木の精霊が「有難う、これからも宜しく。」と囁いているような気がした。
毎月8日は「鬼子母神」のご縁日である。
…むかし一万の子を持つ鬼の母がいた。この鬼子母は里におりては人間の子供を食い殺すという悪事をおかしていた。
困りはてた村人がお釈迦様に助けを求めると、釈尊は鬼子母の愛子を一子隠してしまった。鬼子母は七日間、狂ったように世界中を探し回ったが見つける事が出来ず、釈迦のところに来て子供の行方を尋ねた。
釈迦は彼女に対し「一万もいる子供の中の一人がいなくなっただけでお前は狂ったように悲しみ苦しんでいる。世間の人々の子は一子二子と少数なのにお前は平気で食い殺しているではないか。その親たちの気持ちはどうなる。」と厳しく誡めた。
鬼子母は初めて自分の犯した罪深さを理解し、戒を保ち釈尊の弟子となる事で愛子を還してもらう事が出来たという。
自分の子供を愛する事は親としてごく自然なことであるが、子供の愛し方が分からない親も増えているようだ。
子供が望む事をすぐしてしまう。子供が望む物をすぐ与えてしまう。子供が自分でしたほうが良い事まで、ついつい手を貸してしまう。
そんな育てられ方をした子供たちは、どんな大人になるのだろう。
子供に対する“優しさ”も愛情の一つであるが、時には“試練”を与えることも必要ではなかろうか。
なぜなら“試練”が多いほど心の痛みや苦しみが分かり、他の者にに優しくなれるはずだから…

子供への愛情” に対して1件のコメントがあります。

  1. えぢゃん より:

    今日の練習お疲れさまでした。
    親子で練習っていいなぁ~。
    羨ましかったです。
    和尚様の練習後のスッキリした顔
    見たら凄く嬉しかったッス!!
    また是非やりましょう!!
    親子同じ境遇にたって、同じ目線でやって
    親子で共感できるって素晴らしいっすね~!!
    独身の僕には羨ましいです~。
    いいなぁ~( ̄o ̄;)ボソッ

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