還るべき場所へ

少し前の話になるが、縁あってあるお経本を手に入れた。そのお経本には、『天保元年 〇〇山十三代日妙』と添書きがあった。お寺には必ず〇〇山という山号があり、その山号と歴代の住職から、どこのお寺であるかがおおよそ分かる。その添書きから後輩の自坊であることが分かり、当寺で保管していたのである。その後輩も、3月末で現在の勤務地から自坊に帰るとの話を聞いていたので、一度会ってその経本を渡そうと思っていた。つい先日、それが実現した。当の本人は一連の話を聞き驚いていたが、本堂にて感謝の読経を捧げ、自坊に還ってきた13世日妙上人のお経本を手にし、とても喜んでくれていた。

お寺は長い歴史を有しているが、時代のなかで浮き沈みもあり、時として寺宝や什物が流出してしまうことがある。そんな寺宝や什物が時代を超えて、本来在るべき場所に還ってくることは、寺としても嬉しく有り難いことである。これも“仏縁”によって起こりうるものではあろうが、私もそのお手伝いが出来て嬉しく思う。
歴代の住職や檀信徒が手を合わせ護ってきたもの、それは本来あるべき場所で祀られてこそ、“仏力”や“法力”を発揮してくれるように思える。私はそう感じながら日々の読経を重ね、当寺にあるべきものが還ってくるよう祈りを捧げている。