亡父への想い


本日、筆頭総代御尊父の第七回忌追善法要を当山にて執り行った。ちょうど私が三度目の大荒行を成満し、帰山式を終えた翌日にお亡くなりになられ、今でもその時の事は鮮明に憶えている。当山にて行われた通夜と葬儀、総代が本堂に安置された棺の前で、一晩中線香の火を絶やさぬようそばについておられたことが思い出される。ちょうど6年前の話である…

この度、亡父の追善供養にと、大曼荼羅御本尊二百十五幅と和箪笥一棹を奉納して下さった。 また昨年、自身が大病を患った時、不思議な御加護により無事平癒することができたと、江戸期の釈尊涅槃絵、釈尊涅槃像、妙法蓮華経一部八巻、地獄絵を奉納して下さった。本日は親族を始め、50名を超える関係者が参列しての大法要となった。手を合わせ、共に読経を捧げる皆さんの姿を見て、故人はきっと喜んでおられることであろう。本堂での追善法要が終わり、続いて墓所にお参りし、その後七面堂に場所を移した。


七面堂では奉納頂いた大曼荼羅御本尊をお掛けし、その中で総代の快気祝いの宴がもうけられた。普段味わうことのない神秘的な雰囲気に、大勢の方が喜んでおられる様子であった。
故人に手を合わせ、感謝を捧げ、菩提寺やご縁の方々に施しを行う。まさに“菩薩行”と言えよう。自分の親に面と向かって「ありがとう」とは中々言えないものだが、生前言えなかったことは時を経ても伝えられるものだと思う。その想いがあるからこそ、人は手を合わせ“仏”になれるのである。