かわらぬ想い

「あの日のことは、忘れられない。」という記憶をお持ちの方は、どれくらいおられるでしょう。それはおそらく、何年、何十年経っても、心の中に残り続けるものであろう。
この世に産まれことが出来なかった水子の命日に、三度目の供養を捧げに、遠方からお参りしてくれた女性がいる。水子供養に来られる方は、様々な事情をお持ちであるが、二度三度とご供養を重ねられる毎に、次第に深いお話をさせて頂いている。
若い世代にとって“死”という感覚は、あまり身近なものではない。だが、水子を持たれた場合、身をもって死の瞬間に立ち会ったことになる。それが自然であろうと、人為的な場合であろうと… 肉体的にも精神的にもとても辛いことである。場合によっては、自責の念にさいなまれることがあるかもしれない。
水子供養を捧げることで、我が子の安らかな成仏をお祈りし、自分自身を少しでも救って頂きたいと思う。胎内に命を宿したことの意味、出産の難しさ、命の重み、子どもへの想い、生きるということ、日常での反省、死の認識… 悲しみや辛さを経験すると同時に、水子から多くのことを教えてもらっている気がする。
目には見えなくても我が子の存在を心で感じ、与えられた様々な感情を忘れず日々を送ることが出来れば、何かを得ることが出来るはずである。
貴方の気持ちは、きっと届いていますよ…