苦を考える
昨日、とある檀家の一周忌法要を勤めさせていただいた。この日を迎えられるまでに当家では、仏壇開眼や墓碑建立、盆彼岸には塔婆供養と、心のこもった供養をかさねてこられた。当日は大勢の御親族が集まられ、心温まる法要となった。何かとお心遣い賜り、御当家皆様には心から御礼申し上げたい。法要の席では“四苦八苦”の“四苦”について少しお話をさせて頂いた。この世に産まれれば誰しも逃れることが出来ない苦しみ、生・老・病・死のことである。人生を重ねていくと、この四苦には必ずと言ってよいほど突き当たる。しかし、この苦しみがあるからこそ、自分達の“命”について考えることが出来るとも言えよう。逃れることの出来ない苦しみであれば、むしろその準備をすることはとても大切である。
仏事法要は死を迎えた方が、残された家族へ対して何かを語りかける場だと思う。その方の死が、残された者への充実した生へと繋がれば有り難いことである。苦を考えるということは、与えられた自分の生、如いては子孫の生を考えることにも繋がるはずである。