鯉と共に

当山の池には7匹の鯉が住んでいる。N総代が寄進してくださった鯉である。毎日、朝の読経が終わって池の横の渡り廊下を通ると、口をパクパクさせて餌をおねだりしてくる。餌やり担当の息子が餌を投げ入れると、競って餌に飛びつく姿は、なんとも可愛いものである。生き物が住む場所は自然に汚れてくるものだが、先日、池の様子を気にしておられたN総代が、循環水のろ過装置と水中用ポンプを設置してくださった。ろ過装置は他所の池でも効果実証済みで、水が驚くほどきれいになっている。夏場は気温の上昇と共に池の水が濁りやすく、また鯉も酸欠状態になりやすい。しかし、循環ろ過装置とポンプがあれば、透明な水の中で鯉はこの上なく快適に過ごすことが出来るのである。
生き物の世話は決して楽とはいえないが、生き物自体が心を癒してくれることは間違いない。子どもが池のそばを通るときなど、必ず興味を示している。
水の中で悠々と泳ぐ姿、餌を食べる姿、手をたたくと近づいてくる姿、日常の中で鯉が癒しを与えてくれている瞬間は、少なくないようである。
鯉の世界にも、見ていて色々とルールがあるようです。
: 名誉教授
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メモを取りながら、真剣に説明を聞いて下さいました。名誉教授たる所以を、感じさせられました。
先日、「これから、本堂を拝見しにお伺いしたいのですが。」と電話を頂く。突然のことで驚いたが、お見えになられたのは、立正大学名誉教授で宗祖の御真蹟鑑定の第一人者である中尾尭先生である。先生は日蓮宗勧学職や日本古文書学会顧問も務められ、宗門内外においてお顔の知れた方である。今月10日から京都国立博物館にて開催される『日蓮と法華の名宝展』にも深く関わっておられ、17日には京都女子大学で「京都日蓮法華宗ことはじめ」と題して講演される予定である。
さて、当寺の本堂は、慶安5年(1652)に福山城主水野勝成公の下屋敷を改築して本堂とし、寛文6年(1666)に当地に移築したもので、福山大空襲の戦禍を免れ、現在にもその姿を伝える建築物である。先生を本堂にご案内すると、「ほ~、これは素晴らしいですね。」とお言葉を頂く。ことに内陣の造りや、柱の装飾に興味をもたれたようで、その豊富な知識をもって色々と解説してくださった。また、御仏像も御覧になられ、形式や彩色から、作製されたであろう年代のことや薀蓄を、色々とお聞かせ頂いた。先般、当寺から流出した「七面大明神像」が還って来たことをお話すると、「一度流出した仏像が還ってくるのはごくまれなことであり、本当に良かったですね。」と仰ってくださった。有り難いお言葉である…
信仰の対象となる御真蹟を鑑定するにあって、先生は様々お話を聞かせてくださった。御真蹟の鑑定には利権が絡むこともあり、信仰本来の役割から、美術品としての価値を求められ、売買の対象となることをとても嘆いてておられた。御真蹟しかり、御仏像しかり、“人々の心の救い”となるものは、簡単に価値を判断すべきではないと諭されるお言葉が、とても心に響いた。